今回はもっともっと個人的な話。

さて、帰郷してた訳ですが、東京に戻るのは「形容詞を描く」展の搬入日の朝。
帰るのは良かったのですが、出発の数日前に緊急の依頼が舞い込み、対応している間に展示作品の制作はほぼ手つかず。。。

苦肉の策で地元でフリーランスのデザイナーをしている友人Hに連絡を取り、職場(兼自宅)を間借りすることに。



で、友人の住む苫小牧市・沼ノ端。
彼の実家の蕎麦屋さんに立ち寄ると、お母さんがカツ丼ご馳走してくれました。
蕎麦屋さんのは出汁が違うよね。



それどころか深夜に差し入れまで持ってきてくれて。。。(ごちそうさまでした!)
一晩間借りして、色々お互いの身の上話もしつつどうにか翌朝制作終了し、大判プリンタまで拝借。
ほんとにホントにありがとうH君とお母さん!

翌日、ぼくの古巣というか虎の穴というか、以前勤めていた印刷会社へ先輩たちに会いに行ってきました。
昔の話や今の話をたくさんして、ちょっと昔の事を思い出しました。
ぼくは20代前半の頃、「グラフィックデザイン」の意味もわからずにグラフィックデザイナーとして就職しました。
全く何にもわかってなくて失敗ばっかりで営業さんに怒られ愛想つかされたこと、情けなくて涙が止まらなくてトイレに籠って過ごしたこと、だけどもっとできるようになりたいって先輩のところに通い詰めてたこと、そしたら他の先輩たちも仕事回すついでに色んなこと教えてくれるようになったこと、営業さんの信頼も取り戻せてきたこと、あれだけ(本人比)の赤字伝票切ったのに上司は見捨てずにいてくれたこと、初めて取材に立ち会った時のこと、初めて会社で表彰された時のこと、そして初めて退職届を書いたこと。。。

ああ、自分はここで何人もの人の大きいことや小さいことに揉まれながらデザイナーとして生きられる力を与えられたのだったな。
でもイラストレーターになりたかったぼくは、それを過去のものとして、捨て去るつもりでやってきてしまった。
結局その延長線上にしか自分の未来は無いのに、全く違う自分になろうとしてもがいていたのがついこの間まで。
ほんとはもっともっと感謝して誇りとして芯に植え付けなければいけなかった。
それがわかってなかったせいで、ずいぶん回り道してしまった。

友人Hと元会社の先輩たち。
この二つの再会があったおかげで、イラストレーターとしても人としても、どこか欠けていたものを取り戻せたような気がしました。
そして、やっぱり自分の原点はこの北海道にあるってことが自分の存在に自信をつけてくれました。
気付かせてくれたのはこの地で生きてきた自分の足跡。繋がってきた人の縁。
それは東京にいても同じこと。