なぜ“心の師匠”かと言うと、早い話がお会いしたことは無いからです。
先生(と呼ばせていただきます)をなぜ師と仰ぐようになったという経緯ですが、ぼくは中学・高校と友人に恵まれず、専ら一人で過ごす貧しい青春を送っておりました。
モラトリアム少年だったぼくに将来に希望を持たせてくれたのが高校1〜2年の時に読んだ『ドラえもん』でした。それから他の作品も読み漁り、自分も先生のような漫画家になりたいと夢見て専門学校に入学して、どういうわけかイラストレーターになってしまいました。
そんな我が師匠もぼくが高校卒業間近な頃に急逝。遠目でも良いからお姿を拝見したかった。
しかし、ちょっと変わった形で先生のお姿と向き合いました。
展示品の生原稿の横のモニターで、執筆後の先生が作品について語っているビデオを観ながら感極まって、一人泣いておりました(恥)。
ミュージアムの食堂ではジャイアンの誕生月にちなみ“ジャイアンシチュー”を出していました。これが何かはお話知っている人ならご存知。
「おれのものはおれのもの、お前のものもおれのもの」という言葉に代表される「ジャイアニズム」なんて言葉がありますね。
しかしぼくはここでジャイアンの立場を擁護したい。世間で言われているジャイアニズムに一石を投じたい。
以下「私的ジャイアニズム論」です。(無駄に長いです)
ジャイアンこと剛田武という男は、いつもは粗暴で自分勝手で相手の都合などお構い無しで迷惑な存在、でもときどき(主に映画)で良いヤツになる。
なぜこんな行動になるのか?
それはいつも力を持て余しているせいだと思うんです。
基本的に情に厚く義理堅い。誰より妹には甘く、好意に対しては涙を流し“心の友よ”と抱きしめる。自分がいじめても自分以外のやつがいじめているのは見逃さず、よその街のガキ大将に挑んでいきます。
彼には彼なりの正義感があるんです。
しかし“天下無敵の男”を自称する割に、彼は小学生故に行動できるフィールドが狭い。
本当はもっと強いやつと張り合って、常に勝ち続けたいと思っているけど、そこは彼も普通の小学生。向かう矛先のない正義感と、有り余る力の捌け口を自分の小さな世界に振りまくしかない日常。
そこで映画版。
ドラえもんの力で、彼は狭いフィールドを飛び出し、思う存分力と正義をぶつけられる“悪人”と向き合います。
その相手が犯罪者だろうが、宇宙の侵略者だろうが、彼はいつだってひるむことなく立ち向かう道を選びます。
この瞬間彼は町内のいじめっ子から、世界を守るヒーローに変貌するんです。
これがジャイアンが求めていた居場所だったからではないでしょうか。
本編でも、ドラえもんの道具でみんなで映画を作るとき、自分がヒーローの話にしろと出来杉くんに食いかかります。
また、親戚に武術を習ったりカンフー映画を観て、早く腕を振るいたくてムリヤリ用心棒を買って出る話もありますから、彼には正義と悪の概念がしっかりと根付いていることが判ります。
夢も力も大きいが故に、周囲に自分に近い人間がいないから彼の心のうちは誰にも理解されないようです。
彼にはもっと広い世界で羽ばたきたいという願望がありながら、環境や状況がそれに応えてくれないという激しいフラストレーションを抱えた少年に見えます。
なんといっても彼は自由を愛する男。欲しいものは欲しいと言い、気に入らないものは気に入らない、面倒なことはごまかしたり人に押し付けてでも好きなことだけしていたい。いつも夢見るのは満員のステージに立つスターの自分。そして強い力に屈服することは許さない。
きっと彼も年齢とともに自分のフィールドが広がっていけば、力の矛先は友人には向かないはずです。未来でも小学生時代からの友情を貫いているのですから間違いないでしょう。
ぼくとジャイアン、誕生日が二日違い。実に双子座らしい男。そんなジャイアンをみんなに愛して欲しいと思います。
どら焼き!
キー坊!
バウワンコ像!
ウサギちゃん!足元にはヒョンヒョロが!
お出迎え!
未来の国からこんにちは!
先生は最後は大長編「ねじ巻き都市冒険記」の執筆中にペンを握ったまま机に突っ伏していたと聞いております。自分も作家として晩年はそうありたいものです。