アメブロさんから引っ越してきました。以前の記事はこちら

終了してもう10日も経とうとしています。
これ以上熱が冷めないうちに書くことにしました。
制作秘話っていうか、このお題に取り組む際にいろいろ考えていたことです。

この話はとてもファンタジックに始まっていきます。
普通の少年の平凡な生活の中にすこしふしぎな存在が混じり込むという
藤子不二雄的な展開です。
名前を「44号」と言い、タイトル通り彼の周囲で不可解なことが起こり、
それが元で平凡だった生活は主人公と44号を中心に回り始めます。
しかし半分くらい読むと、心根の優しい少年が
何の前触れも無く、性格を一変させてしまいます。

そんな理解に時間の要する難題を元に2度の作品講評会を繰り返し
挿画と装丁を完成させ最終的に展示会をする、という企画でした。

主人公と心を通わせていく44号。
この二人が息苦しい人間関係を変化させていく話かと思っていたら

どっこい突然正体を現した、というか
性格設定が変わったとしか思えない変貌ぶり。

友達がともだちに。
藤子不二雄かと思っていたら浦沢直樹だった。。。

この急激な変化が物語の理解力を一気に崩壊させ、そのまま4月に一回目の講評会がスタートしました。
一回目の講評会は「イメージラフ」。
この難解な展開のおかげで前半のラフは描けても後半のラフが描けないという事態で
未完成の状態で講評会に臨むことになりました。
こんな状態で他の11人の作家さん&デザイナーさんと会うなんて、情けなさ過ぎる…。
そして当然、他のメンバーがきっちりラフを仕上げているのを見てやはり愕然としました。

しかし参加した他のメンバーもそうだったようで、
「読むのがツライ」
「話が分からない」
「腹が立ってくる」
といった評価ばかりで、
ここで自分だけじゃなかった、という安心感が生まれ
頑張れそうな気がしました。

5月。二回目の講評会。
宿題は「装画のラフ」と「DMに載せる登場人物」。いよいよ本格的になってきました。
ここへ来るとさらに深い理解が必要になってきます。
とにかくちゃんと読もう、と幾度か挑戦しますが
ページが重いったら。。。
あまりにも辛くて、参加者で以前から友人だったさかきくみこさんに
胸の内をメールしていました。

44号辛過ぎる。読んでるとイライラして叫びたくなるよ。うおわぁー!

 するとさかきさんから

あ!これ(44号)って、ビルとテッドの大冒険みたいなノリだったら面白いかもって思った(笑)

ああ〜なるほど。他の物語に置き換えるのもありか〜。
こんなことをやりとりしながらぼんやりと装画のイメージに取りかかりました。
じゃあまずはキャラクター像をはっきりさせよう、と。
そして出来上がった44号像がこれ。

これはDMに掲載するイラストとして提出しました。
この頃には、この物語が実はもっと違うカラクリでできているのではないかな
ということにうっすら気付きはじめていました。

そして2回目の講評会へ。
相変わらず高い水準をキープして提出してくるメンバーの皆様。
一人ぼんやりした描ききれていないラフを提出。
しかしなんとか物語の全体像を掴みかけてきた自分には
どうしてもこの全体像を形にしたいという目標がありました。
それにはあと一歩の解釈がどうしても必要でしたが
それをこの日までに揃えることができなかったことが
そのぼんやりしたラフに現れていました。

その講評会の最中に、参加者がそれぞれ考えたり思ったりしたことを
聞いているうちに一つのモデルに行き当たりました。

『伝説巨人イデオン』

はい、やっぱりアニメでした〜。

でもこの話になぞらえるととてもこの『不思議な少年44号』というのはわかりやすい。
これを通して解釈すると、とにかく話はどうでもいい。
マーク・トウェインが込めたメッセージはこの本の舞台の
地下深くに隠されているんだ、それを掘り当てるんだ、と。
それが見えた時、初めてこの本のことが好きになりました。

講評会は2回で終わり、その後は担当のデザイナーさんと
直で制作を詰めていき、7月の展示に当たる。
その間、ぼくはずっとマーク・トウェインの内面を探ることを続けていました。

彼の生い立ちはウィキペディアに詳しくあるので省きますが、
彼は戦争体験を経て明らかに人生観が変わっています。
まだ未読ですが、『〜44号』の前に『人間とは何か』という作品を
書き上げています。
それは老人と若者の対話で、若者は希望を持って世界を見ているのに対して
老人は世界を悲観と達観した視点で若者を諭していきます。
そのやり取りが44号と主人公のようです。
この悲観的な考えこそが本作品の全てかと思います。
44号=老人=トウェイン、主人公=若者=読者、あるいは過去のトウェイン自身
という対比が全てで、『〜44号』の物語の舞台は
主人公に世界の理を教えるための舞台装置でしかないのだろうと。
イデオンを持ってくると
44号=イデ(宇宙そのものの意思)、主人公=コスモ(イデオンの主人公)
とぼくは考えたわけです。
(担当のデザイナーさんには「ユング的だ」とも伝えました)

そんなトウェイン自身の内なる声に耳を向けて
完成した作品がこれでした。

寒村の古い古城をまだ発明されて間もない活版印刷の工場として
営む一家と住み込みで働く主人公たち従業員。
そこへ突然現れた不思議な少年44号が、
常識で計り知れない魔法を用いて、遠い未来や宇宙の理を主人公に
導いていく。
そんな一連の舞台構成をトウェイン自身が見せたかったものと
絡めて作品にしました。
要所要所に色んな意味を持たせて構成していくのは非常に楽しく、
物語が自分の知るところとなっていたことが
何より作品への情熱に変わっていきました。

実はこの作品を送る前、デザイナーさんからデザインに関する要望があれば
聞かせて欲しいとメールがありました。
でも、せっかく自分以外の人と組んで何かを作るのに
自分がデザインにちょっかいを出すと何のために組んでいるのかわからないし、
デザイナーさんからはイラストはサトウさんの好きなように!との
一点張りだったので、ここで自分が意見するのはフェアじゃないと思ったので
全て思うようにして下さい、とだけ伝えました。
あとは仕上りを待つのみとしましょう、と。

そして7月。いよいよ展示とオープニングイベントの
トークショー。
持ち時間が一人3分程度しかなかったので
ここに書いたような内容はほとんど話せませんでしたので、
展示中盤辺りにこのような紙を作品ファイルに挟んでいました。

「マーク・トウェインと不思議な少年44号とわたし(サトウコウタの感想文)」
この本は物語の様相をしたマーク・トウェインの思考実験の舞台ではないかと思いました。
主人公の元に現れたナゾの少年”44号”は途中から突然キャラクターが変わり、
ファンタジーを期待していた読み手を混乱させます。
また他の登場人物たちも積極的に動き出したかと思えば、結局途中から出てこなくなったりします。
この行き当たりばったりな展開に読むことが苦痛でした。
しかし、二度三度と読み重ねるうちに、すんなりと吸収できるようになってきたのです。
登場人物が出入りする様を舞台劇のように捉えていましたが、
この舞台はトウェインが自分の哲学を投影するために用意されたもので、様々なアプローチの方法として生み出されたものではなかったのだろうか、という考えに至りました。
彼は戦争を体験して、この作品のような悲観的な考えを持つようになりましたが、
でも結してペシミズムではなく、「肉体という壁を超えて、精神を共有できるくらいの広い視野を皆が持てば、それこそ戦争も必要なく、宗教さえ超越できる」というような、現在の世界を肯定し、さらにその先へ進もうとする思いがこの作品を生み出したのではないでしょうか。
彼の名作「トム・ソーヤー」や「ハックルベリー・フィン」などの冒険小説と同じく、
その根底には精神をライトに保ち、自然と生命を共有することこそ人の正しい生き方であるとするところは、物語の形が変わっても本質は同じだったと思います。
この本は考えることの楽しさを最後に教えてくれました。
どうぞ一度読んでみて下さい。
‘12.7.8サトウコウタ

ほんとは製作中のラフも一緒に公開したかったのですが、
クリエイターEXPOも同時期に重なって部屋が文字通り戦場に。。。
その戦後処理の最中におそらく処分してしまったと思われます、はい。